雑感

ヲタクの雑感

五十嵐の自尊心0問題

※この記事はアイツのBLマンガ58話までのネタバレを含みます!ご注意ください!

 

皆さまいかがお過ごしでしょうか。アイツのBLマンガ、なかなかアツイ展開になっていますね。毎週目が離せません。話が進むたびに人物像が明らかになり第一印象とがらっと変わっていく、読み返し推奨の漫画だなと改めて実感しました。この漫画の中で一番印象が変わったキャラといえば

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満場一致で五十嵐ではないでしょうか。(次点でおじさん)

最初期の五十嵐の印象、ただのヤンキーですもんね。突飛な行動をするヤバいやつ。でも蓋を開けてみると虚無の塊。なぜでしょう。それは五十嵐が自分の人生を捨てている、自尊心0の人間だからです。

 

自尊心とは

心理学では“自尊感情”と言われるのですが、一般には「自尊心」「自信」「自己肯定感」と言った言葉で表現されることが多いでしょう。この自尊感情は「自分に価値がある」と感じられる感覚のことで、自分を大切に思ったり、自分を好きだと感じる気持ちとイコールだと考えていただいて構いません。※1

五十嵐には自尊心が足りません。例えば、叔父から大学に行けと叱られたシーン。

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自分ではっきり「何もない」と言ってしまっています。

得意なことも、お金も、家族もいない。自分の将来に対して明るいビジョンが持てずにいます。

 

なぜ自尊心が低いのか

これは残念ながら描写されていないので考察するしかない。完全に個人的見解です。

おそらく小中と五十嵐は今まで優等生とは程遠い生活をしてきました。だからといってそれだけで自尊心があそこまで低くなるわけはない。大抵の人間は優等生ではないわけですし、いたって普通のことです。相田がチートなだけだからね。と、なると何が原因かというと

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やはり家族です。

五十嵐家は問題を抱えない仲のいい家族でした。無条件で愛してくれる両親、慕ってくれる妹。例え得意なことがなくても生存意義には十分です。親に孫の顔を早く見せたいんだと言い出すタイプですね。

しかし家族全員亡くなってしまった。するとどうでしょう。何もできない自分だけが残ります。将来性がない生涯孤独。自分と向き合うことができずただただ自分を認められなくなります。そんな五十嵐ができることといえば一人で家族が残してくれた家に住むことだけです。おそらく家を手放す話は中学生の頃から出ていたでしょう。しかし五十嵐にとっては救いの手や将来性よりも、家族との思い出の方が大切だったわけです。何もない自分が頑張って明るい未来を築くよりも、失ってしまった家族を優先してしまったんですね。過去にすがることでしか生きられない、自分を信じない自尊心0人間の完成です。

 

自尊心が低いとどうなるの 

依存してしまう

自尊心が低い人間は自分一人では自立できないので何かにすがることで生きようとします。五十嵐の依存先は

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もちろん相田です。

いわゆる共依存という症状ですね。

共依存になっている人は、自分のことよりも他人の世話ばかりをする人、と言えます。他人の世話をすることで自分の価値を確認する、という行動をとるのです。

なぜこの事態が「共依存」という問題として扱われるのかというと、「他者に依存しすぎることで自分自身のコントロールができなくなっている」からです。自分から見た自分の評価が低いので、他人を通じて評価の低い自分の心を満たそうとします。しかし、他人に評価を預けてしまうので結果的に自分で自分の心が評価できなくなってしまうのです。※2

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ご存知の通り五十嵐は相田に尽くします。そのためなら自分は犠牲になってもいい。なぜなら自分自身の価値は0だと思い込んでいるからです。普通は好きな人のために罪を被るなんてことはしません。夢も希望もない自分とは違い、将来性だらけの相田を自分の力で守ることに自分の価値観を見出しているんですね。

また、依存対象以外はどうでもいいと思ってしまう傾向に陥ります。アルコール依存症の患者が酒のためなら人間関係や生活を犠牲にする姿を想像してみてください。それと同じで、五十嵐は相田以外の人間や、自分自身をなんとも思っていません。

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友人に心を開く必要もありません。

はたから見ると、相手に「ああしてほしい、こうしてほしい」「自分のそばから離れないで」など、自分にかまってほしくて必死になる人のほうだけが依存しているように思えますが、実はその人に対してかまう相手も依存しています。お互いに依存している恋愛関係が「共依存恋愛」なのです。※3

一方で相田も五十嵐に依存しています。五十嵐が自分のためなら何だってしてくれるとはっきり自覚している。

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相田は確かに自分の価値を理解していて、自分が大好きな人間です。でもこの台詞は自分が優れていると言いたいわけではありません。五十嵐の人生観において自分が一番上だという自信の表れです。

原因は、いずれも幼少期の母親との関係が大きく影響しているケースが多いです。子どもは母親に「あるがまま」を抱きしめてもらうことで自分の絶対的存在価値を確認できるのですが、母親にこのようなことをしてもらうことなく大人になると、他者と関わることでしか自分の存在価値を見出せなくなってしまうのです。※3

相田もまた、親から決められた人生を歩むという決して理想的な環境ではない家庭で育っています。優等生ではない相田を受け入れてくれた初めての人間が五十嵐です。潜在的共依存の傾向があり、無自覚に五十嵐に依存しています。

努力ができない

何か仕事を任されたり、自分がやってみたいと思うことに対して、「でも無理」「自分にはできない」など、やる前からできないと決めつけてやらないことが多いです。「どうせ自分は失敗する」と考える癖は、自尊感情の低さからきています。※4

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ばっちり当てはります。相田から進学について聞かれた時もこの有様。努力したところで無駄だと始める前から諦めています。これも実は自尊心の低い人の特徴。

そして自分のことが好きではないので自分のために努力ができません。結局、相田に褒められたいという動機で勉強を始めます。

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努力をしたことがなかったんですね。相田のためにはあんなに頑張るのにね。

 

五十嵐は幸せになれるのか

相田に褒められるために勉強を始めた結果、相田が驚くような成績を収めます。やればできる子なんですね。

同じタイミングで偶然にも叔父から大学進学を勧められます。その代償として家族が遺してくれた家を売らなければならない。悩む五十嵐に対して相田は大学進学の話を喜んでくれます。

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相田と同じ大学じゃなければ無意味という価値観よ。

さらに叔母から家族になると言ってもらえることで決意に至るわけです。自分が幸せになるという選択肢があることを理解できたんですね。

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五十嵐は相田のために生きることをやめ、相田に振り向いてもらえるために自立して生きることを選びました。共依存からの脱却です。しかしこれも叔父達の力だけとは言えません。なぜなら今までの五十嵐なら、大学進学を勧められてもどうせ自分には無理だと諦めてしまっていたから。さらに言うと相田と離れてしまうしね。なぜ受け入れられたかと言うと勉強をして結果を残したから。努力は無駄ではないし、相田も喜んでくれる。相田に尽くさなくても、自分のために頑張って良い人間になれたら振り向いてくれるかもしれない。今まで自分が相田に尽くしてきたことが間違いだとおじさんから否定され、今までの努力は無駄だったと察せられたのも大きいでしょう。

 

五相編は救いの物語

ここまで読んでくれた方の中には、ひょっとして五十嵐は相田と出会わずに生きた方がこじらせなかったのではと思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも中学生の時の五十嵐を救えたのは相田だけだと私は思います。

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相田は五十嵐からしたら無価値だと思っていた生活を褒めてくれます。なぜなら何もかもが初めての体験だから。相田には親から与えられた生活そのものが人生だったわけです。

一方で相田も自分の人生を自分自身で考えるきっかけになったのが五十嵐です。五十嵐と出会わなければ何の疑問も持たずに親が用意した人生を過ごしたことでしょう。

五十嵐と相田はたしかに周囲の人間に迷惑をかけてきました。(主に楢崎)これも共依存の特徴です。さらに言うと、相田は五十嵐の依存心をいい事に、自分が同性愛者になる勇気がないので五十嵐の好意を裏切り続けました。それでもお互い足りないところを補いあえたのはこの二人だからならではなのではないでしょうか。

五十嵐を救ったのは相田の力だけではありません。相田が生きる意味を与え、おじさんが間違いを指摘し、叔父一家が支援してくれ、自分で自信を取り戻した。周囲の助言、そして自分自身の力です。結局のところ自尊心を取り戻すには他人から認められるのではなく、自分の力で自分を認めないといけません。

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五相編は五十嵐の救いの物語です。と、同時に五十嵐の一世一代の頑張り物語でもあります。これからの五十嵐の人生、幸せであってくれ。

 

画像 comicoより引用

文章引用

※1※4 https://woman.mynavi.jp/article/170630-26/

※2 https://woman.mynavi.jp/article/170414-6/

※3 https://woman.mynavi.jp/article/170531-22/