雑感

ヲタクの雑感

五十嵐の自尊心0問題

※この記事はアイツのBLマンガ58話までのネタバレを含みます!ご注意ください!

 

皆さまいかがお過ごしでしょうか。アイツのBLマンガ、なかなかアツイ展開になっていますね。毎週目が離せません。話が進むたびに人物像が明らかになり第一印象とがらっと変わっていく、読み返し推奨の漫画だなと改めて実感しました。この漫画の中で一番印象が変わったキャラといえば

f:id:kome_is_tohoku:20190717055349j:image

満場一致で五十嵐ではないでしょうか。(次点でおじさん)

最初期の五十嵐の印象、ただのヤンキーですもんね。突飛な行動をするヤバいやつ。でも蓋を開けてみると虚無の塊。なぜでしょう。それは五十嵐が自分の人生を捨てている、自尊心0の人間だからです。

 

自尊心とは

心理学では“自尊感情”と言われるのですが、一般には「自尊心」「自信」「自己肯定感」と言った言葉で表現されることが多いでしょう。この自尊感情は「自分に価値がある」と感じられる感覚のことで、自分を大切に思ったり、自分を好きだと感じる気持ちとイコールだと考えていただいて構いません。※1

五十嵐には自尊心が足りません。例えば、叔父から大学に行けと叱られたシーン。

f:id:kome_is_tohoku:20190717055454j:image

自分ではっきり「何もない」と言ってしまっています。

得意なことも、お金も、家族もいない。自分の将来に対して明るいビジョンが持てずにいます。

 

なぜ自尊心が低いのか

これは残念ながら描写されていないので考察するしかない。完全に個人的見解です。

おそらく小中と五十嵐は今まで優等生とは程遠い生活をしてきました。だからといってそれだけで自尊心があそこまで低くなるわけはない。大抵の人間は優等生ではないわけですし、いたって普通のことです。相田がチートなだけだからね。と、なると何が原因かというと

f:id:kome_is_tohoku:20190717055651j:image

やはり家族です。

五十嵐家は問題を抱えない仲のいい家族でした。無条件で愛してくれる両親、慕ってくれる妹。例え得意なことがなくても生存意義には十分です。親に孫の顔を早く見せたいんだと言い出すタイプですね。

しかし家族全員亡くなってしまった。するとどうでしょう。何もできない自分だけが残ります。将来性がない生涯孤独。自分と向き合うことができずただただ自分を認められなくなります。そんな五十嵐ができることといえば一人で家族が残してくれた家に住むことだけです。おそらく家を手放す話は中学生の頃から出ていたでしょう。しかし五十嵐にとっては救いの手や将来性よりも、家族との思い出の方が大切だったわけです。何もない自分が頑張って明るい未来を築くよりも、失ってしまった家族を優先してしまったんですね。過去にすがることでしか生きられない、自分を信じない自尊心0人間の完成です。

 

自尊心が低いとどうなるの 

依存してしまう

自尊心が低い人間は自分一人では自立できないので何かにすがることで生きようとします。五十嵐の依存先は

f:id:kome_is_tohoku:20190717055932p:image

もちろん相田です。

いわゆる共依存という症状ですね。

共依存になっている人は、自分のことよりも他人の世話ばかりをする人、と言えます。他人の世話をすることで自分の価値を確認する、という行動をとるのです。

なぜこの事態が「共依存」という問題として扱われるのかというと、「他者に依存しすぎることで自分自身のコントロールができなくなっている」からです。自分から見た自分の評価が低いので、他人を通じて評価の低い自分の心を満たそうとします。しかし、他人に評価を預けてしまうので結果的に自分で自分の心が評価できなくなってしまうのです。※2

f:id:kome_is_tohoku:20190717065807p:image

f:id:kome_is_tohoku:20190717065811j:image

f:id:kome_is_tohoku:20190717065818j:image

 

ご存知の通り五十嵐は相田に尽くします。そのためなら自分は犠牲になってもいい。なぜなら自分自身の価値は0だと思い込んでいるからです。普通は好きな人のために罪を被るなんてことはしません。夢も希望もない自分とは違い、将来性だらけの相田を自分の力で守ることに自分の価値観を見出しているんですね。

また、依存対象以外はどうでもいいと思ってしまう傾向に陥ります。アルコール依存症の患者が酒のためなら人間関係や生活を犠牲にする姿を想像してみてください。それと同じで、五十嵐は相田以外の人間や、自分自身をなんとも思っていません。

f:id:kome_is_tohoku:20190717060215j:image

友人に心を開く必要もありません。

はたから見ると、相手に「ああしてほしい、こうしてほしい」「自分のそばから離れないで」など、自分にかまってほしくて必死になる人のほうだけが依存しているように思えますが、実はその人に対してかまう相手も依存しています。お互いに依存している恋愛関係が「共依存恋愛」なのです。※3

一方で相田も五十嵐に依存しています。五十嵐が自分のためなら何だってしてくれるとはっきり自覚している。

f:id:kome_is_tohoku:20190717060310j:image

相田は確かに自分の価値を理解していて、自分が大好きな人間です。でもこの台詞は自分が優れていると言いたいわけではありません。五十嵐の人生観において自分が一番上だという自信の表れです。

原因は、いずれも幼少期の母親との関係が大きく影響しているケースが多いです。子どもは母親に「あるがまま」を抱きしめてもらうことで自分の絶対的存在価値を確認できるのですが、母親にこのようなことをしてもらうことなく大人になると、他者と関わることでしか自分の存在価値を見出せなくなってしまうのです。※3

相田もまた、親から決められた人生を歩むという決して理想的な環境ではない家庭で育っています。優等生ではない相田を受け入れてくれた初めての人間が五十嵐です。潜在的共依存の傾向があり、無自覚に五十嵐に依存しています。

努力ができない

何か仕事を任されたり、自分がやってみたいと思うことに対して、「でも無理」「自分にはできない」など、やる前からできないと決めつけてやらないことが多いです。「どうせ自分は失敗する」と考える癖は、自尊感情の低さからきています。※4

f:id:kome_is_tohoku:20190717060432j:image

ばっちり当てはります。相田から進学について聞かれた時もこの有様。努力したところで無駄だと始める前から諦めています。これも実は自尊心の低い人の特徴。

そして自分のことが好きではないので自分のために努力ができません。結局、相田に褒められたいという動機で勉強を始めます。

f:id:kome_is_tohoku:20190717060506p:image

努力をしたことがなかったんですね。相田のためにはあんなに頑張るのにね。

 

五十嵐は幸せになれるのか

相田に褒められるために勉強を始めた結果、相田が驚くような成績を収めます。やればできる子なんですね。

同じタイミングで偶然にも叔父から大学進学を勧められます。その代償として家族が遺してくれた家を売らなければならない。悩む五十嵐に対して相田は大学進学の話を喜んでくれます。

f:id:kome_is_tohoku:20190717060729j:image

相田と同じ大学じゃなければ無意味という価値観よ。

さらに叔母から家族になると言ってもらえることで決意に至るわけです。自分が幸せになるという選択肢があることを理解できたんですね。

f:id:kome_is_tohoku:20190717060818j:image

f:id:kome_is_tohoku:20190717061758j:image

五十嵐は相田のために生きることをやめ、相田に振り向いてもらえるために自立して生きることを選びました。共依存からの脱却です。しかしこれも叔父達の力だけとは言えません。なぜなら今までの五十嵐なら、大学進学を勧められてもどうせ自分には無理だと諦めてしまっていたから。さらに言うと相田と離れてしまうしね。なぜ受け入れられたかと言うと勉強をして結果を残したから。努力は無駄ではないし、相田も喜んでくれる。相田に尽くさなくても、自分のために頑張って良い人間になれたら振り向いてくれるかもしれない。今まで自分が相田に尽くしてきたことが間違いだとおじさんから否定され、今までの努力は無駄だったと察せられたのも大きいでしょう。

 

五相編は救いの物語

ここまで読んでくれた方の中には、ひょっとして五十嵐は相田と出会わずに生きた方がこじらせなかったのではと思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも中学生の時の五十嵐を救えたのは相田だけだと私は思います。

f:id:kome_is_tohoku:20190717061039j:image

相田は五十嵐からしたら無価値だと思っていた生活を褒めてくれます。なぜなら何もかもが初めての体験だから。相田には親から与えられた生活そのものが人生だったわけです。

一方で相田も自分の人生を自分自身で考えるきっかけになったのが五十嵐です。五十嵐と出会わなければ何の疑問も持たずに親が用意した人生を過ごしたことでしょう。

五十嵐と相田はたしかに周囲の人間に迷惑をかけてきました。(主に楢崎)これも共依存の特徴です。さらに言うと、相田は五十嵐の依存心をいい事に、自分が同性愛者になる勇気がないので五十嵐の好意を裏切り続けました。それでもお互い足りないところを補いあえたのはこの二人だからならではなのではないでしょうか。

五十嵐を救ったのは相田の力だけではありません。相田が生きる意味を与え、おじさんが間違いを指摘し、叔父一家が支援してくれ、自分で自信を取り戻した。周囲の助言、そして自分自身の力です。結局のところ自尊心を取り戻すには他人から認められるのではなく、自分の力で自分を認めないといけません。

f:id:kome_is_tohoku:20190717061657j:image

五相編は五十嵐の救いの物語です。と、同時に五十嵐の一世一代の頑張り物語でもあります。これからの五十嵐の人生、幸せであってくれ。

 

画像 comicoより引用

文章引用

※1※4 https://woman.mynavi.jp/article/170630-26/

※2 https://woman.mynavi.jp/article/170414-6/

※3 https://woman.mynavi.jp/article/170531-22/

 

相田の性的指向は何か

※この記事はアイツのBLマンガ60話までのネタバレを含みます!

 

皆様いかがお過ごしでしょうか。私はまずまずです。

私はアイツのBLマンガファンの方をツイッターでフォローしています。そんな中、興味深いやりとりを発見しました。

 

相田の性的指向、異性なのか?同性なのか?

中学三年生になるまでAVすら見たかったことがなかった相田。五十嵐によって性に目覚めるというなかなか類を見ない大人への階段の上り方です。元々同性愛だったという可能性もなくはない。というか人によって解釈が全然違いそう。ということで私なりの解釈をまとめてみました。  

 

そもそもなぜ相田に同性愛の可能性があるかというと、26話でAVに対する不快感を語ったから。

f:id:kome_is_tohoku:20190603172428p:image

相田は男女の性行為を「ヘンに感じたし不快だった」わけですね。

「それ」はもちろんAV=異性愛のこと。この文脈が非常にややこしくて、いろいろな解釈ができてしまう。

①相田にとって異性愛は違和感を感じるものだが、世間にとっては普通。だから相田は異性愛を受け入れた。元々同性愛者。

②相田にとって性行為は違和感を感じるものだが、世間にとっては普通。だから相田は性行為を受け入れた。元々無性。

③相田はそもそもまだ子供なので恋愛も性的興奮も知らず、初めてAVを見たときは戸惑いを感じた。世間にとっては普通だから、成長することで違和感なく受け入れられるようになった。元々異性愛者。

ざっと挙げてもこんなに出てきます。難解だぞ相田勝平。

 

相田はAVを見るのが嫌だった?

個人的にはだからといってゲイだよ!とは言い難いところ。考えてもみれば、初めてそういった性的なものに触れた時、違和感や不安感を感じるというのはわりと誰もが通る道なのではないでしょうか?

しかも自らすすんで鑑賞したわけではなく、唐突に見せられてしまう。心の準備なんてできてないし、ましてやすけべ心も抱いていない。いきなり大人の世界を突きつけられたことによる不快感だったのではないでしょうか。

f:id:kome_is_tohoku:20190603171502j:image

さらにその後、五十嵐の手によって卒業させられるダブルコンボ。最近の男子中学生はすごいですね。

そもそもなんで五十嵐はこんなことをしたのかというと、おそらく相田が勃起していたから。対処法を教えてあげようとした五十嵐なりの優しさなのかと思われます。1mmも反応していない0からのスタートはないんじゃないかな。

f:id:kome_is_tohoku:20190603172444j:image

つまりは相田は違和感を感じながらも、きちんと身体は正直に女性に反応しているというわけです。というわけで①の可能性は低いかと思われます。(あくまで個人的見解)

f:id:kome_is_tohoku:20190605030546p:image

そもそもYUと結婚する宣言(黒歴史)してますしね。

 

相田は性行為が嫌い?

間違いなく答えはNO.

f:id:kome_is_tohoku:20190605031214j:image

f:id:kome_is_tohoku:20190605031221j:image

f:id:kome_is_tohoku:20190605031244j:image

どすけべムッツリ野郎です。

しかしムッツリエピソードが対五十嵐に対してしかない。おそらく好意を持った人間に対してだけ性欲を抱くタイプ(完全に個人的考察)。

f:id:kome_is_tohoku:20190605031636p:image

夢精してるしね。

夢精するということはおそらく日頃自ら発散していないということ。やはり性欲はないのでは!?これも答えはNO.

なぜなら相田の性格を考えるとおそらく、R指定のものには手を出さないからです。

f:id:kome_is_tohoku:20190605031823p:image

大学生になればタバコを吸うし(先生の公式発言)、髪を染める。性的なことをしてもいい。根っからの堅物というわけではなく、親の監視下に置かれているうちはきちんとしようと努めているのではないでしょうか。とは言ってもすけべ心が優って五十嵐が押したら一線超えそうですけどね。日頃制約の下で生きているからこそ、好奇心に弱い。THIS IS 相田勝平です。

ということでおそらく②の線もない。消去法で③が正解に近いかと思われます。

 

相田が同性愛を認めないのはなぜ?

相田は自分への好意を伝えてきた香川をキモいと罵りボコボコにしています。

f:id:kome_is_tohoku:20190605034148j:image

そして、五十嵐には借りがあるからという理由で嫌いにはならないけど好きにはなれないと言い放ちます。

f:id:kome_is_tohoku:20190605034407j:image

何度も書いていますが同性愛は相田にとって普通ではないから。

だからといって全く同性愛に理解がないわけではない。

f:id:kome_is_tohoku:20190605034517j:image
f:id:kome_is_tohoku:20190605034513j:image

それ=異性愛は世間一般では普通だけど、もっと広い世界では同性愛、異性愛の区別をつけることに疑問を持つ人がいると認識しています。さすが優等生。

そして、ここで「僕の属する世界ではそれを受け入れ違い」といっています。それ=同性愛。

確かに同性愛を否定しています。普通ではないから。しかし、あくまで”僕の属する世界”の話。”僕はそれを受け入れ違い”ではない。

つまり相田は世間、さらにいうと親や身内が同性愛を受け入れてくれる世界ならば五十嵐を受け入れたということ。完全に否定をしないのは相田なりの優しさなのかもしれません。逆に、香川への拒否反応は香川を心底嫌っていたからかもしれない。どのみち香川は不憫だ。

しかしその優しさが五十嵐を縛り付ける。考えてもみてください。「僕は嫌じゃないけど周りから否定されるから付き合えない」だなんて言われるも同然です。それならはなから脈なしの方が気持ちは楽です。「僕は同性愛者にはなれない」とでも言われれば五十嵐も諦められたかもしれません。

しかし五十嵐も一筋縄ではない。なぜなら相田に依存しているから。相田自身が同性愛を拒否していないのであれば、”相田の属する世界”を変えればいい。そして偶然にも現れた楢崎。

f:id:kome_is_tohoku:20190605040945j:image

楢崎もまた、”楢崎の属する(現実)世界”で否定されているという皮肉。

 

逆に五十嵐は両性愛なの?同性愛なの?

f:id:kome_is_tohoku:20190605041417p:image

五十嵐には相田しかいないらしいです。

冗談はさておき、相田にAVを見せたくらいです。元々は異性愛者です。問題のフラれるシーンでも好きなAVを聞かれて悩んでいる。高校生になってあれだけ好きだったYUのグッズを相田以外必要ないからと言って捨てようとした激重男が、中学時代はちゃんとAVデータを残していた。つまり中学生の時は相田のことは好きだけど、ちゃんと他の人間(女性)も性対象だったけど、現在は世界中で相田だけが好き。個人的見解ですが、今の五十嵐はAVを見ないような気がします、相田のことを考えてそう…。おそらく中学時代は基本的は異性愛だけど相田のことが好き、現在は相田のみが性対象。激重です。

教室で流したゲイビデオもおそらく日常的に使っているものではないはず。そもそも相田に見せるためだったしね。なぜ相田に見せようとしたかというと、中学時代に相田にAVを見せて性を芽生えさせたように、あわよくば同性愛指向が芽生えないかと思ったのでしょう。

f:id:kome_is_tohoku:20190605044647j:image

 

f:id:kome_is_tohoku:20190605044642j:image

考え過ぎかもしれませんが、この2つのシーン、構図がほぼ同じ。そして一方はソフトな異性愛、一方はハードな同性愛。

f:id:kome_is_tohoku:20190605045059j:image

対句法ですね。

 

相田が素直になりめでたく結ばれた相田と五十嵐。でも、相田は自分の気持ち、同性愛を認められても、” 相田の属する世界”が認めてくれるとは限りません。ましてや良家の一人っ子。イバラ道です。二人の幸せをただただ願う、そんな毎日です。

 

 

(画像引用 comicoより)

 

五十嵐はなぜ楢崎をいじめたのか

この記事はアイツのBLマンガの26話(+α)分のネタバレを含みます!α分は微量ですが58話まで読まれていることを推奨します!

 

 

 

 

 

アイツのBLマンガを読み進めて最初に疑問に思うこと。大体の人は「五十嵐、こんなにいい子なのになんで楢崎をいじめていたの?」じゃないでしょうか。

五十嵐は作中ではサイコパス、不良とやばい奴のレッテルを貼られる人物。しかし相田目線の過去編を読んでみると決して悪い奴とは思えません。

f:id:kome_is_tohoku:20190515030608j:image

むしろ天使。

楢崎には申し訳ないですが五十嵐(と相田)の言動を振り返って弁明していきたいと思います。正直作者さんが自身のブログで答えてくれている部分もあります。気になる方はググってみてください、幸せな気持ちになれます。

 

 

Q.なぜ楢崎と友達になりたかったのか

作中でも言及されている通りゲイである楢崎と相田が一緒に過ごすことで相田の同性愛に対する抵抗感をなくすことが目的です。

五十嵐は過去に相田から「同性愛は普通ではない」という理由で振られています。更に相田は「五十嵐は同性愛者だとしても嫌いにはなれないけどそれは借りがあるから」とまで言い放ちます。五十嵐の自尊心はボロボロです。それでも諦めきれない五十嵐。相田に好かれるために自分がやれることは全てやりきると宣言して、いざ実行するのが楢崎へのちょっかい。普通ではない自分を受け入れている楢崎の姿を相田に認めさせれば自然と同性愛へのわだかまりがなくなるのではと思ったわけです。

自分の恋愛事情を相談したいという気持ちもあったでしょう。しかし楢崎は自発的ぼっちなため、普通の方法で友好関係を築けると思えずに半ば脅しのような態度を取ってしまいます。

f:id:kome_is_tohoku:20190515031732j:image

f:id:kome_is_tohoku:20190515031735j:image

脅迫じみてはいるけど、真剣に相談したいからこその言葉ですね。そしてフツーじゃない=同性の相田が好き。まさかそんな事情だと知らない楢崎は五十嵐をいかれた野郎と認識します。

f:id:kome_is_tohoku:20190515035533j:image

f:id:kome_is_tohoku:20190515035537j:image

この発言も楢崎への脅しや怒りではなく、相田への怒り相田からいじめっ子だと思われてたことが心外だったわけです。でもそんなこと楢崎にはわかるはずもなくただただ恐怖を与えます。

 

 

Q.でも五十嵐は言い訳できないレベルで楢崎をいじめたよね

確かに脅迫もありますが、案外理由があります。

例えば休日に呼び出した上に女装をさせた理由。

f:id:kome_is_tohoku:20190515032629j:image

この発言も楢崎に惹かれているわけではなくて、自分の好きなように生きている楢崎の姿を見て、相田にも常識から外れた考えを持って欲しいという見解なんですよね。五十嵐の思考回路の中心は全て相田。初見では楢崎を狙ってるようにしか見えないミスリード

f:id:kome_is_tohoku:20190515034008p:image

ここで自分の隣に相田を座らせようとする等読み返してみると相田への好意が感じられます。

楢崎の女装姿の写真をアイコンにしたのは相田を嫉妬させたかったから。相田には自分は絶対に五十嵐から好かれているという自信があります。なので女の写真をアイコンにしたと聞いた時も「そんなのいるわけ…」と発言。そして楢崎の写真だと気付いてこの対応。

f:id:kome_is_tohoku:20190515034325j:image

楢崎を心配しているように見せかけて完全に嫉妬ですね。五十嵐の勝ちです。

アイコンを変えるように申し出る相田。

f:id:kome_is_tohoku:20190515034535j:image

いや、自分のことを好きな相手にその一言はキツすぎるだろ。まあ無関係の楢崎を虐げてるから仕方がない。相田にしてみれば、1年ぶりに同じクラスになり久々に関わりを持ってみたら、弱いものいじめをするような人間になった五十嵐に対して戸惑いもあったようです(作者さんブログより)。

五十嵐の空回りの努力もむなしく楢崎を庇う相田。五十嵐の脅しはエスカレートしていき、楢崎の秘密の趣味である女装をクラスの人に知らしめようとします。相田に阻止されて自分が被害を被りますが。

 

 

Q.でも流石に教室でAVを流すのはやりすぎなのでは

作者さん曰く相田の反応を見たかったからだとか。逆効果もいいところですが。

 

 

Q.なんでそんなに好きなら相田を殴ったの

相田が特別な存在である自分に対しても香川のように暴力を振るってきたことを悲しく思った&一方的に五十嵐が相田を殴ったことにして、相田が五十嵐を殴った事実をなかったことにするため。お互い殴り合った喧嘩になると相田の評価が下がるから。五十嵐の行動は中学の時から一貫してぶれていません。一方で相田も殴りかかってしまったことに対して罪悪感を感じ、殴られる選択肢を選びます。

f:id:kome_is_tohoku:20190515040616j:image

愛ですね。

 

 

Q.じゃあ結局五十嵐っていい子なの

一概にそうとは言い切れません。

f:id:kome_is_tohoku:20190515041357p:image

楢崎曰く、五十嵐は暴力は振るわないが人を支配するタイプ。自分の外見を利用して女子を翻弄したり、ぼっちである楢崎に洗濯をさせたりと好き放題やって学校中から恐れられているようです。

暴力を振るわないとは言ってもぷっつんしてしまう相田よりかはましレベル。中学時代、相田と五十嵐が仲良しだと間接的に相田の母親に知らせてしまった相田の友人を殴っています。そのことで相田から嫌われるだなんて考えていなさそうなところが恐ろしいです。他にも相田を守るために相田を狙う人間(おそらく友達)と喧嘩をしたり、相田に手を出そうとしたおじさんに事実確認をせず器物破壊をしたりと。相田が絡むと暴力を振るうことに対して躊躇がなくなります。

更に、自分の友人に期待をせず、友達だと思っていない。

f:id:kome_is_tohoku:20190515042055j:image

五十嵐は現存している中で相田以外の人間を信用していません。相田以外の人間がどうなろうとどう思われようが別に構わないというのが五十嵐のスタンスなわけです。基本的には他人にドライ。

なのに相田の一挙一動には子供のように表情をコロコロ変える。

f:id:kome_is_tohoku:20190515042550j:image

つまり、相田(と読者)にとっては尽くしてくれる子犬のような存在ですが、他人からすると倫理観が欠落しているヤバいやつと認識されているというのが答えであり、間違いなくいい子ではありません。

 

 

Q.五十嵐は相田のことが好きすぎて他人がどうでもよくなってしまったの?

個人的見解ですがおそらく違うと思います。相田の友人が言うには、他人をゆする有名人。実際に相田も助けられた直後に五十嵐に会いにいきますが、ピリピリしている姿を見てビビっています。

f:id:kome_is_tohoku:20190515043317j:image

今の五十嵐と大差ないですね。

ヤンキーグループに属していたから噂が一人歩きしているのかもしれないので一概には言えませんが、相田と出会う前からいい子ではなかったのかと思われます。実際に相田を助けた動機も停学になりたかったからですし。

家族存命時から香川たちヤンキーグループとは仲が良かったみたいなので元々チャラいカテゴリの人間だったのは間違いありません。しかし最近イライラしているとクラスメイトから陰口を言われている描写を見るところ人にやつあたりする人間ではなかった様子。やはり家族を亡くしてしまったことが五十嵐の性格を変えてしまった大きな要因なのかと推測できます。

 

そんな決していい子とは言えない五十嵐ですが、私は心の底から応援しています。

f:id:kome_is_tohoku:20190515044311j:image

五十嵐祐希、幸せになってくれ。

 

 

 

(画像引用 comicoより)

 

アイツのBLマンガにおける家庭環境と問題

※この記事はアイツのBLマンガ81話までのネタバレを含みます!未読の方はご注意ください!(もしくは1話39円なのでぜひご購入ください。)

 

 

 

アイツのBLマンガ81話が更新されました。

今までの五十嵐や相田のエピソードでも感じましたが家庭環境の差がすごい。

大抵の漫画で描写される家庭環境の差と言えば貧富の差です。お金持ちキャラがいて貧乏人キャラがいて…という感じのやつですね。お金持ちキャラは親が不在がちで寂しがり、貧乏人キャラは幼い頃から働いていたり家事をしたりと忙しい等のキャラ付けがされる印象です。

ところがどっこいアイツのBLマンガはどうでしょう。大体のキャラは中流家庭。相田は裕福な家庭の子ですが決してステレオタイプなお金持ちキャラではない。上で挙げた家庭環境の差は、貧富の差ではない家族による幸福度のことを指しています。

 

 

相田の場合

相田は裕福な家庭で両親が年を取ってから生まれた一人っ子です。箱入り娘のように大事に育てられ、塾と習い事で多忙な生活を送っています。本人も親の期待に応えようと努力し、家族仲は良好だと言えるでしょう。

f:id:kome_is_tohoku:20190507025222j:image

しかしそんな良い子の相田は五十嵐と出会うことで変わります。親の監視がない五十嵐家の自由さに心地よさを感じ、五十嵐家に入り浸るようになり、塾もたまにサボるようになります。結局、親にはバレてしまい制約の下で五十嵐と遊ぶように。これまで親が与えてくれた人生にはない楽しさが五十嵐と遊ぶことで得られたのでしょう。

高校受験当日。相田は五十嵐と一緒に過ごすことが自分が心から望んでいるということに気がつき、面接でその本心について語ります。しかし家に帰って両親の姿を見ると、親の期待を裏切ってしまったことに気がつき後悔。

f:id:kome_is_tohoku:20190507025317j:image

親の望む人生を実現することが自分の進むべき道だと考え、五十嵐への好意を封印して元の生活に戻ります。親からの愛を良くも悪くも真っ直ぐに受け止めているのが相田の人生と言えるでしょう。

 

 

五十嵐の場合

五十嵐の家族は全員亡くなっています。遠方に住む祖母の誕生日を祝いに行く途中で交通事故に遭い、香川と遊ぶために残った五十嵐だけ助かりました。

f:id:kome_is_tohoku:20190507025335j:image
f:id:kome_is_tohoku:20190507025332j:image

しかし当時の五十嵐は生き残ってよかったのか疑問に感じます。そんなもぬけの殻の五十嵐を救ったのが家に遊びに来る相田。家族の代わりに相田と過ごすことを生きがいに思い、やがてそれが恋へと変化します。

祖母の誕生日を家族全員で祝うという描写から伺えるようにとても仲が良い家族だったのでしょう。そしてその心の穴の大きさが相田への依存心の大きさとなってしまったのはなんとも皮肉なことです。

f:id:kome_is_tohoku:20190507025435j:image

そんな五十嵐が、叔父さんの家に受け入れてもらい新たな家族を得ることで相田への依存心から脱却。五十嵐の依存心に甘えていた相田が初めて家庭のしがらみ、自分のどっちつかずな態度を捨てて告白するという流れから考えてもこの漫画にとって家族はターニングポイントなのではないでしょうか。

 

 

香川の場合

香川は中学生の頃に親が離婚して岸谷の家に預けられました。香川曰く親に捨てられたとのこと。

f:id:kome_is_tohoku:20190507025519j:image

更にお世話になっている親戚のこともうざいと言ってしまいます。反抗期だとしてもなかなか言えないぞ!ましてや家族を失っている五十嵐に!

香川が五十嵐に家族を失いひとりぼっちだとしても生き延びてよかったなと言ったのは、家族を失う悲しみを考えたことがないからでしょう。そもそも五十嵐が祖母の誕生日会に行かなかったのは香川から「そんなお祝いの会なんてうちではしたことがない」と言われたから。

香川は家族愛を知らないし、それを特に不幸だとも思っていません。だからこそ立派な家庭で育ち、親の期待通りに生きている相田に対して面白くないという感情を抱いたのだと思います。

f:id:kome_is_tohoku:20190507025702j:image

一見ヤンキーが優等生をおちょくっているこの場面も、世間から讃えられ、そして自分を期待してくれる親がいないことへの無自覚のイラつきなのかもしれません。

f:id:kome_is_tohoku:20190507025843j:image

相田をめちゃくちゃにしてしまいたいのも自分とはかけ離れ人生を送っているから。そう考えると失恋しようが怪我をしようが、相田を狂わせた香川の勝ちですね。

 

 

 

岸谷の場合

岸谷の両親は共働きです。海外に単身赴任をしている父親とCAの母親。家には岸谷と姉、そして香川しかいないことも多々あるでしょう。母は岸谷を信用しており、自らのカードを預けています。そして高額な買い物にも怒らない。すごいぞ、岸谷家。岸谷が言うには「父親の代わりにうまくやっている」とのこと。

f:id:kome_is_tohoku:20190507025908j:image

岸谷孝太郎、17歳にして家庭でうまく立ち回る。

さらに岸谷家、岸谷以外の人間は世間から不良扱いされる香川を厄介者と思っていません。むしろ可哀想な子扱い。高校中退しているのに…。この漫画の中では珍しく、家庭環境に左右されずに生きているのが岸谷です。

 

 

楢崎の場合

楢崎は両親と兄と暮らしていました。楢崎がゲイだとカミングアウトしたことによって仲の良かった家族は崩壊。父と兄は家を出て行きます。このことが原因で楢崎は他人にゲイであることを受け入れてもらえないと考えるようになり、内向的な人間になりました。確かに自分が原因で家庭崩壊だなんてなかなかショッキングですよね。

f:id:kome_is_tohoku:20190507030023j:image

そんないざこざがあったからか楢崎はあまり親に頼ろうとはせず、お小遣いをねだることもしません。しかし香川と違って親の愛を受けていないわけでもなく、反抗したいわけでもありません。自分のせいで家庭を台無しにしてしまったことを申し訳なく思う気持ちが強い。岸谷が親と仲良く連絡を取っているのを羨ましそうに見ているのも、自分にはできない立ち回りだからです。

そんな楢崎家ですが父親が母親と話しに来たり、家族での食事会を開いたりとなんとかして家族仲を修復しようとする動きが見られます。

兄は家族仲を取り戻すために、楢崎にゲイから足を洗ったと嘘をつけと強要しますが、楢崎にとっては自ら否定すること。

f:id:kome_is_tohoku:20190507030147j:image

f:id:kome_is_tohoku:20190507030151j:image

そんな楢崎に対して母親は食事会には来なくていいと言います。なぜなら父親が楢崎の姿を見ると怒鳴ってしまうから。

しかし、母と兄、いずれの方法で成功したとしても、楢崎は幸せになれません。母の提案通り楢崎不在の三人で仲良くしても楢崎の問題から目を背け、除け者にしているだけ。兄の提案通り嘘をついても本当の楢崎の気持ちは否定することになります。結局、楢崎は食事会に行きませんでした。

そして最新話。父母兄の食事会が功を奏したのか、父親が家に帰ってくることになりました。そして、前回除け者にされ、何も問題が解決していない楢崎は家を出ることを決意します。

 

 

 

想像以上の長文になってしまいました。

五人を通してわかるのが、明らかに家族関係が性格に結びついていること。この漫画のテーマの中の一つは家庭環境なのではないかと言うことをこれからも声を大にして言っていきたいものです。

 

(画像引用 comicoより)

全人類よ、アイツのBLマンガを読め

ただ、キミに愛されたいだけ。

f:id:kome_is_tohoku:20190430035214j:image

 

comicoで連載中のBL漫画「アイツのBLマンガ」がすごい。何がすごいかって伏線、そしてテーマ。元々韓国で連載されている縦読み漫画な上にBL作品と一見ハードルが高そうに甘える本作品。きちんと日本人設定になっているので外国人の名前が覚えられないという人でも無問題。ちなみに上のキャッチコピーはcomicoから引用。このコピーを考えた人に宣伝会議賞をあげたいし、なんなら本作品はこのマンガがすごい!を取るべき(個人的見解)。

「BLってファンタジーなホモパラダイスなんでしょ?」と考えてBLを苦手だと思っている人にこそ読んでほしい漫画なんです。

 

あらすじ

ゲイであり、女装趣味も持ってる男子高校生の楢崎勝馬(ならさきかつま)は、女装した姿をクラスメートの相田と五十嵐にバレてしまう。
その日から、勝馬の日常はカラッと変わってしまった。
(comicoより引用)

 

楢崎勝馬は上記の通り女装趣味を持っているゲイ。女装姿で写真を撮り(盛りまくり)、ゲイコミュニティサイトで出会いを求める日々。

f:id:kome_is_tohoku:20190430035325j:image

可愛い顔してとんでもないやつです。

作中でも顔がいいと言われている楢崎ですが、ゲイだと告白したことで家庭崩壊を起こした過去を持ち、他人にカミングアウトをしないように心に決めています。その上男友達を恋愛対象として見てしまうことを恐れて友達を作らない。完全孤立したイケメンぼっちの完成です。

 

そんな楢崎の女装姿を見てしまったのが相田勝平五十嵐祐希

相田はお偉いさんの家に生まれたお坊ちゃんで優等生。楢崎の秘密を知ってしまったことに責任を持ち、彼を助けようとします。

f:id:kome_is_tohoku:20190430035617j:image

見た目の通りの堅物です。

そんな相田に反して楢崎にちょっかいをかける五十嵐。彼は中学生の頃に喧嘩で相手を再起不能にした噂が流れていたりと校内でも有名な不良。楢崎の女装姿の写真を要求して自分のLINEのアイコンにしたり、女装して遊びに来いと呼び出したりとなかなかのいじめっ子です。

f:id:kome_is_tohoku:20190430033540j:image

でも顔はいい。

相田曰く、五十嵐と相田は仲がいいとのこと。なぜなら中学生の時に同じクラスだったから。楢崎を囲んで喧嘩する不良と優等生。とても仲が良さそうには見えないが…???

 

というのが冒頭の流れです。

こんな拙文でもちょっと気になるなと思った皆さん、今すぐcomicoに行ってください。そして26話まで読んでください。最低限11話。11話までならすぐに読めるから。

この漫画、某カメラを止めるな!並にネタバレ厳禁。どこまで書いていいかなかなか悩みながら今この記事を書いています。

 

で、結局テーマって何よ

この漫画のテーマは「同性愛とどう向き合うか」だと思います。おそらく。

上記の通り楢崎は自分がゲイであることで、他人から距離を置かれてしまったことがあるのでインターネット上以外では決してゲイだと公言しません。そしてゲイである自分を受け入れてもらえると思えないので、他人と関わることもありません。

そんな楢崎に対して相田は「親にカミングアウトすることは理解できない」と言い放ちます。

f:id:kome_is_tohoku:20190430033741j:imagef:id:kome_is_tohoku:20190430033745j:image

 

相田は親が用意してくれた人生のレールを忠実に守る優等生。五十嵐からは「普通の範疇に入らないことが嫌いな頭の固いやつ」と言われてしまうような人間です。つまり、相田にとって同性愛者は普通の範疇に入らない理想の人生のレールから逸れた人間という認識なのです。

一方で五十嵐はゲイである楢崎に興味津々。「女装している姿が綺麗」なんて言って女たらしみたいなことをします。

f:id:kome_is_tohoku:20190430033832j:image

顔がいいから許されるな。

その上「男とキスしたことはあるか」「それ以上のことはしたことあるのか」とデリカシーがないことを聞いてきたり。

相田、五十嵐双方の態度に楢崎は怒ります。そりゃあ二人から「自分とは違う人種」のように扱われるんだもの。当たり前の話です。

一方で、もし私たちの身近に楢崎がいて、ゲイだと知ってしまったらどう接するでしょうか。もし楢崎がクラスメイトだったら、息子だったら。私たちは今まで通りに接することができるのでしょうか。

 

ここから26話まで読んだ人向けのネタバレ考察、読んでいない方はスクロール推奨

 

 

 

 

 

 

実は「俺はゲイじゃないからわからないんだ」のような態度を取っていた相田も五十嵐も同性愛者です。厳密に言えば同性愛者ではなく、互いが性別を超えた特別な存在。そして両片思いです。相田は五十嵐から好かれていることを知っていますが、五十嵐は相田から好かれていることを知りません。中学生の頃に、五十嵐からの告白を相田が断っているからです。

f:id:kome_is_tohoku:20190430034317j:image

不良、サイコパス等ヤバいやつ扱いされる五十嵐ですが、中学生の頃の暴力事件は相田の罪を被っていたのです。相田は進学校を目指すため、暴力事件によって内申点に傷がつくと困る。相田を守るために五十嵐は自ら濡れ衣を背負います。

そう、8話で相田を一方的に殴ったのも相田がケンカをしたと周りに思われないため。五十嵐は相田のためなら何でもします。相田を狙う不良と喧嘩したり、二人の仲を結果的に邪魔してしまった相田の友達を殴ったり…完全にヤンデレです。

五十嵐には家族がいません。だから、家に遊びにきてくれる相田を家族のように思い、依存心と恋愛感情が混ざって、相田と一緒に平和に過ごすこと=自分の幸せと錯覚しているのです。

一方で相田は告白される前に、五十嵐から恋愛感情を抱かれていることを察していました。相田自身も、恋愛感情に近い感情は抱いていますが、付き合おうと踏み出すことはできません。なぜなら、上で述べたように同性愛者は普通ではないという認識を持っているからです。ただでさえ不良として有名な五十嵐と遊ぶだけで怒る親の監視下にいるわけです。五十嵐と付き合うことよりも親の言う通りの人生を送ることが最良の選択だと中学生の頃の相田は考えたわけです。

そんな相田の「普通の範疇」を壊したい五十嵐が利用しようとしたのがゲイである楢崎

普通ではない楢崎を相田に認めさせることで同性愛に対するわだかまりを解消しようとしたわけです。そんなことを知らない楢崎からしたらただのいじめな訳ですが。

一方で相田の「親が悲しむ発言」も自分が五十嵐と一緒になってしまったら親が悲しむと言う自分への言い聞かせ

そう、楢崎だけではなく、相田と五十嵐も同性愛との向き合い方に悩んでいるというのがこの物語の重要なところなのです。

 

 

 

ここまでネタバレ

 

 

 

 

 

 

BLが苦手な人にこそ読んでほしい本作品。

同性愛とは何か、そしてどう向かい合うか。

この作品で提示されている答えの一つはこれだと思います。

ただ、キミに愛されたいだけ。

 

(画像引用 comicoより)